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2011年6月

2011年6月28日 (火)

恐っ!!!((゜Д゜ll))

久しぶりに見たっ!!!

この・・・・・。

世にも恐ろしい・・・・・。

物を・・・。

私の隣で寝ている・・・・。

ニッキー(♂)が・・・。

物凄い顔をして寝ていた。(>▽<)(笑)

恐っ!!!((゜Д゜ll))
恐っ!!!((゜Д゜ll))

これを見た人はひょっとして怪談の続きやと思ったんやない?(>▽<)(笑)

そんな奴おれへんやろぉ〜♪(>_<)/ビシッ


恐かった人は御一報下さい!m(__)m(笑)

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2011年6月25日 (土)

姫路城にまつわる話 〜最終話〜

長壁姫、小刑部姫、刑部姫(おさかべひめ)とは、姫路城に隠れ住むといわれる日本の妖怪。


姫路城の天守閣に隠れ住んでおり、年に一度だけ城主と会い、城の運命を告げていたと言う。

松浦静山さんの随筆『甲子夜話』によれば、長壁姫がこのように隠れ住んでいるのは人間を嫌っている為とあり、江戸時代の怪談集『諸国百物語』によれば、住処に人が立ち入ると、1丈(約3メートル)もの身長に巨大化して追い払ったという。

鳥山石燕さんの『今昔画図続百鬼』では「長壁(おさかべ)」とされ、コウモリを従えた老姫の姿で描かれている。

一方で江戸時代の奇談集『老媼茶話』では十二単を着た気高い女性とされ、小姓の森田図書が肝試しで天守閣に駆け登ったところで長壁姫と出会い、「何をしに来た」と訊ねられて「肝試しです」と答えると、その度胸と率直さに感心した長壁姫は肝試しの証拠品としてしころ(兜につけて首元を守る防具)をくれたという。

時代が合わないため全くの伝説とされるが、前のPart3で紹介した宮本武蔵の若いころの話。

足軽の「滝本又三郎」として木下家定の時代の姫路城に奉公していたという。

ある夜、天守に住む妖怪退治を命じられた武蔵は刀を手に姫路城に上り、妖怪を追い払った。

天守最上階では刑部明神が姫の姿で現れ、武蔵に妖怪退治の礼として銘刀・郷義弘を授けたという。

これは前述の『老媼茶話』をもとにした話とも言われる。

井原西鶴さんによる『西鶴諸国ばなし』では、長壁姫は800匹の眷属を操り、自在に人の心を読みすかし、人の心をもてあそんだと、妖怪として人間離れした記述が書かれている。

北尾政美さんによる黄表紙『夭怪着到牒』にも「刑部姫」の表記で登場しており、同書では刑部姫の顔を見た者は即座に命を失うとある。

長壁姫の正体は一般には老いたキツネとされるが、井上内親王が義理の息子である他部親王との間に産んだ不義の子、伏見天皇が寵愛した女房の霊、姫路城がある姫山の神様だとの説もある。

また民俗学研究所による『綜合日本民俗語彙』では、姫路から備前にかけての地域ではヘビがサカフと呼ばれることから、長壁姫を蛇神とする説唱えられているとの説もある。

前述の『老媼茶話』では猪苗代城の妖姫・亀姫の姉とされ、泉鏡花の小説『天守物語』でもその設定で書かれている。

また実際には、姫路城の本丸にある刑部明神が多くの誤伝を生み、稲荷神と習合するなどして、天守閣に住むキツネの妖怪という伝承が生まれたとする説もあるらしい・・・。
姫路城にはこの様な様々な時代とそれにまつわる話がいくつもあり興味をそそられる。(笑)

皆さんはいかがですか?o(^-^)o

姫路城にまつわる話 〜最終話〜
姫路城にまつわる話 〜最終話〜
姫路城にまつわる話 〜最終話〜

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2011年6月23日 (木)

姫路城にまつわる話 〜Part3〜

〈宮本武蔵と妖怪退治〉

姫路城城主が木下家定であった頃のお話し。

剣豪宮本武蔵が名前を隠し姫路で足軽奉公をしていました。

その頃、城内では天守に妖怪がでるという噂が広まっており、城の見張り番の者たちも恐れをなして、まともに出番を勤めることができない状態が続いていました。

しかし、ただ一人武蔵だけは平気で夜の番をしていました。
それを聞いた家老の一人が、

「その足軽は高名な武芸者宮本武蔵であろう。」

と、名を隠していた武蔵の正体を見破りました。
そして、武蔵に妖怪退治を頼んだのです。

ある夜のこと。

武蔵は手に灯り一つを持って不気味な暗闇の天守閣に登っていった・・・。

武蔵が三階の階段にさしかかった時!

突然あたりを激しい炎が包み、地響きと轟音が起こり、武蔵に襲いかかろうとしました。

すぐさま武蔵は妖怪に斬りかかろうと腰の太刀に手を掛けた。

すると異変はピタリと止まり、あたりはまた何もない暗闇に戻りました。

何事もない3階から武蔵が4階にあがると・・・

また同じような炎と轟音の地響きが起こった。

しかし、武蔵が腰の太刀に手を回すと、またあたりが静けさを取り戻したのである。

そのまま天守閣まで登った武蔵は、妖怪が現れるのを待とうと明け方まで座り続けた。

やがて、眠気に誘われうつらうつらとし始めた頃。

どこからともなく武蔵を呼ぶ声が聞こえてくる。

目を開けると武蔵の前に美しい姫が突如現れた。

「私は姫路城の守り神、刑部明神です。今夜そなたがここに来てくれたおかげで、城に取り付いていた妖怪は恐れをなして逃げていきました。褒美としてこの剣を与えましょう。」

と武蔵の前に白木の箱が現れた。

武蔵が木箱を見つめ、気がつくと刑部明神は消えていました。

目の前の木箱を開けると・・・

名刀 郷義弘(ごうのよしひろ)が入っていのだった。

武蔵はその名刀と共に、また、いつもの生活に戻っていった・・・。

完。

姫路城にまつわる話 〜Part3〜

<宮本武蔵の自画像>

姫路城にまつわる話 〜Part3〜

<刑部神社>

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2011年6月20日 (月)

姫路城にまつわる怪談 〜Part2〜

   〈千姫と亡者の怨念〉

千姫は徳川家康の孫として1597年に生まれました。

祖母のお市、

母のお江、

共に戦国武将を騒がせた美女で、

千姫もその美しさで知られましたが、

徳川家と豊臣家の政略結婚の犠牲として、

わずか7歳で秀頼に嫁入りしました。

その後、大坂夏の陣で夫・秀頼は自害して果て、

豊臣家は滅亡し、千姫は燃えさかる炎の中から助け出されることになるのだが、

この時、家康は「誰か!!! あの城から千姫を助け出せっ!!! 助け出した者には、褒美に千姫を嫁がせるぞっ!!!」と叫んだ。

そして見事、坂崎出羽守が千姫を助け出したのである。

しかしその時、

坂崎出羽守は猛火の中で顔に酷い火傷をおってしまいます。

その傷が原因で千姫に嫌われてしまいました。

そしてルックスの良い本多忠刻と結ばれるのです。

千姫に嫌われた上に武士の面目を潰された坂崎出羽守。

怒りに奮えた坂崎出羽守は、

千姫の輿入れの行列に切り込みました。

切り込んだはいいが、

多勢に無勢。

奮戦虚しく、

ついに返り討ちにされ、

力尽きてしまいました。

坂崎出羽守が亡くなり、

時は流れ・・・。

姫路城で仲睦まじく暮す千姫。

しかし、

千姫は、幾度も子供を授かるけれど、

その度に流産してしまいます。

そこで、

祈祷を受ける事にしました。

千姫が祈祷を受けたところ・・・、

「子孫繁栄などさせてなるまじ」

と、

秀頼と坂崎出羽守の怨霊が取り憑いていることがわかった。

そこで、城の北西に天満宮を建立して霊を弔い、

ようやく待望の子供(姫)を授かったのだった。


姫路城にまつわる話 〜Part2〜

姫路城にまつわる話 〜Part2〜

昔はこの様なお話しが多数あり、

また見つけたらブログに載せますね♪o(^-^)o

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2011年6月18日 (土)

姫路城にまつわる怪談

姫路城にまつわる怪談


今日は夏目前なので。

ちょっとした怪談話しを・・・。

姫路城にまつわる話しを、ちと書きまする。


  〈城の傾きと棟梁の死〉

大工の棟梁 桜井源兵衛は寝る間も惜しんで仕事に打ち込み、姫路城と言うこの巨大な築城を9年という短い期間でやり遂げる偉業をなしとげました。

はれて完成した姫路城を眺めた源兵衛は達成感と満足感に包まれていた・・・。

しかし!

完成披露宴の席で、「ん?! 何やら天守閣が、たつみの方向に傾いているようでござるっ!」と言い出した者がいたのだ。

藩主 池田輝政が「気のせいじゃ!気のせいじゃ!」

という一声でその場は収まったが、翌朝、清水門の外に・・・・・。

ノミを口にくわえた源兵衛の死体が発見されたのだ。

満座のなかで「天守閣が傾いている!」と指摘されたことを苦にして天守閣の最上階から飛び降りたのだった。

そして、それ以降 天守閣は、年々地盤沈下に悩まされるようになった。

「天守閣が傾いている」

という嫌疑をかけられた源兵衛が、死んでも死に切れぬと、天守閣を傾けているのだろうと言う噂話が広まったのだった・・・。

姫路城に懸ける思い入れ、

そして職人としてのプライドがいかに強かったかが伺える昔ながらの怪談話しでした。

次も姫路城にまつわる怪談を書くのでお楽しみに〜♪(^O^)/

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2011年6月15日 (水)

またまた☆

行ってきましたぁ〜♪(^O^)/

「花かるた」さん!

なんと!!!

花かるたさんの人気メニューの「鶏のレバ刺し」!

またまた☆

早い時間から行かないとなかなかありつけない幻の一品が!!!

久しぶりに食べられましたぁ〜!(T▽T)


やっぱり最高に美味い!(>_<)

それと季節の一品の・・・。

とうもろこしの天ぷら☆


またまた☆

これが最高に美味い!(o^〜^o)

どの料理も美味しいんですが、

この2品は超オススメです♪o(^-^)o

あともう一品オススメが、

冷めても美味いピザ♪

この3品が私のオススメです♪(>_<)

他にもお寿司などなんでも美味しいので、

是非一度食べてみて下さい(^▽^)/


またまた☆
またまた☆

情報はカテゴリーのオススメ情報で「花かるた」さんを探して下さいm(__)m

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2011年6月10日 (金)

戦国武士の食

戦国時代の上級武士は朝と夕方の一日2回の食事をしていました。

一食に、
玄米2.5合とオカズは上々な時はイワシの丸干し、芋や大根の煮物。


戦国武士の食


上々でなければ梅干しか漬物だけの食事でした。

武士の普段の食事はきわめて質素でそこにはいざという時に生き残る為の計算がされていました。

乱戦、負け戦になって兵糧(食べ物)が無くなっても困らない様に常に身体をならしておく必要があった為とされています。

一方。

下級武士はと言うと、

日常食は雑炊でした。


戦国武士の食


ネギ、大根、カブ、青菜等の雑菜を「糧」として少ないお米の増量をしながら食事をしていました。

しかし、

出陣となると武士達の食事はガラリと変わります。

陣中食(陣の中での食事)は玄米ではなく、
白米に変わります。

白米は炊き上がりが早く消化も良い為即戦力に繋がるからです。

その他に、
携帯食も持っていました。

全部で10品あり。


戦国武士の食
戦国武士の食


まずは、
干飯。
これは一度炊いた白米をカラカラに乾燥させて臼で細かく砕き割った物です。

水又はお湯に入れて戻す事が出来る為武士達はこれを常に携帯していました。

その他に、
水、

干豆(煮て干した豆)、

黒胡麻、

煮干、

焼おにぎり、

みそ玉(生姜等を入れ丸めた味噌の塊)、

兵糧丸(ハチミツ・胡麻等を入れ、きな粉をまぶした団子)、

いもがら縄(里芋の茎を縄にして味噌で煮て干した物)、

梅干水渇丸(梅干しを縄で固め干した物)、

といった様な携帯食を常に持っていました。

この携帯食は良く考えられていて、
どれも役に立つ物ばかり。

干飯は水やお湯に浸ければご飯になり。

いもがら縄と味噌玉は味噌汁になり。

黒胡麻は眠気覚ましになり。

と、いろんな工夫が施されています。

日頃は玄米で体力を蓄え、合戦では白米等で動きやすさと持久力を重視し、
いかに戦に勝つかを考えていたのかがわかります。

昔は食べられる量が決められていた中で合戦をして生き残る・・・。

昔の人は本当に凄いです。(>_<)

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2011年6月 9日 (木)

目立ってナンボ!

昔は合戦では目立つ鎧兜・甲冑を着用して戦をしていました。


目立ってナンボ!

目立ってナンボ!

目立ってナンボ!


これは誰よりも武功(手柄)を立ててより高い地位を獲得する為に目立つ必要があった為である。

目立つ=命を狙われる。

そうする事で勇敢である、強者である。

と周囲に思わせられるからである。

とれと同時に、

目立つ鎧兜・甲冑で個人を特定する。

と言う認識の役割もありました。

乱戦の中で武者を特定するのは軍装で識別するしか方法が無かった為、

必然的と派手な鎧兜・甲冑・陣羽織といった軍装がトレードマークとなりました。

ただし、

それゆえに一度この軍装と決めたら主君(殿様)の命で変更するか、
余程の不都合がない限り変更は出来なかったのです。

軍装の事でこんなエピソードがあります。

敵と見方の双方から「槍中村」と恐れられた豪勇の侍。

「中村新兵衛」(なかむら しんべえ)

と言う侍が居ました。

その侍は常に唐冠形兜(とうかむりなりかぶと)

※下の画像の様な兜。

目立ってナンボ!


を被り、

緋羅紗(ひらしゃ)

※「紅く染めた羅紗と言う生地。」

の陣羽織を具足の上に着込んで槍を片手に戦場でいくつも手柄をたてました。

その結果。

中村新兵衛が前線に出ると、

「緋羅紗の陣羽織に唐冠形兜!中村新兵衛だ〜っ!」と、

敵は恐れおののき近づこうともしなかったと言う。

ある日。

どうしてもと人に頼まれ、トレードマークの兜と陣羽織を譲り、

別の軍装で戦場に出る事にしました。

すると・・・。

いつもなら戦場で出くわした敵は蜘蛛の子を散らす様に逃げ出すはずが、

恐れずに襲い掛かって来るではないか。

中村新兵衛は「これはたまらん!」と言いながらも奮戦し敵を幾つも討ち取ったが・・・。

ついに力尽き、

敵に首を取られてしまいました。

トレードマークを変えたばかりに不運にも志半ばで散ってしまいました。

戦国時代は、

戦場での働きによって以後の出世が決まります。

故に、

合戦場では自己の働きを主君にアピール出来る最高の舞台である為、

目立つ軍装が必要になって行ったと同時に個人を認識させる役割もあった様です。

その為か、

現代まで変わった形の兜等が多数伝わり、

今も鎧兜・甲冑から昔の人のいろんな思いが伝えられています。

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2011年6月 7日 (火)

徳川家康の甲冑エピソード

世に有名な戦国武将の徳川家康。

家康は幼少の時代から、今川義元の元に人質として生活をしていました。

その家康が19歳の時、

今川義元の命で大高城に
初陣する事になります。

※初めて戦に行く事。

そこで、敵の兵糧(ひょうろう)

※いわゆる敵の食糧等がしまわれてる蔵。

を攻め落とします。

その折に着用していたのが、

金溜塗具足(きんだびぐそく)。

と言う全身金色で黒色の紐で威した甲冑である。


徳川家康の甲冑エピソード


この甲冑にはエピソードがあります。

家康は人質だった為、今川家から用意された甲冑は凄く質素な物だったらしい。

それを見た家康の家臣達はひどく怒り、悲しみ、家康にある甲冑を用意します。

それが金溜塗具足です。

全身金色で豪華に見えますが、

実は・・・。

大変質素な造りなんです。(>_<)

でも、その甲冑には家臣達の思いが詰まっています。

なぜなら、

金溜塗具足は家康が人質な為、あまりお給料を貰えないはずの家臣達が皆で、

「家康様は我等が殿!一国の主があの様な甲冑を晴れ着として着るは余りにも無念!」

と言い、

家臣達が、無いお金を出し合いあの黄金に輝く甲冑を家康にプレゼントしたと言うのです。

それを着て家康は初陣を「勝利」で飾りました。

その甲冑は、

徳川家では代々「縁起の良い甲冑」

として、現代にまで受け継がれています。

その為、金溜塗具足には、

別名”大高城兵糧入れ具足

と言う名前があり、

昔から縁担ぎの甲冑として広く知られてきました。

鎧兜・甲冑には様々なエピソードや想い出があります。

誰かの為に制作を依頼したり、

誰かの為に制作をしたり、

色々な「想い」が形になる。

私はそんな「想い」を色々な人達に届けたい。o(^-^)o

そして、

後世にもこんな素敵なエピソードを生み、

伝えられる甲冑を制作出来る作家になれる様に頑張りたいと思いますっ!p(^へ^)q

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2011年6月 5日 (日)

感動(T_T)

一度初孫さんの為に甲冑を制作してくれた生徒さん。

その生徒さんがご親戚の為に新たに兜のみの制作を2頭同時に制作してくれていて、

今日はその生徒さんのお家に出張して制作指導o(^-^)o

お家にあがると・・・。

前回制作した甲冑が床の間に♪♪♪(>▽<)


感動(T_T)

生徒さんが「この甲冑を凄く気に入ってるんですよ!だから、ずっと飾りっぱなしにしてるんですよ!」と

嬉しいお言葉!O(≧∇≦)o

ありがとうございます!!!(T▽T)

そして、

兜の制作。

ちょっと一休み。

の時。

お父さんが、

「先生!近くに先生の好きそうな所があるんですが、行ってみますか?」

とお誘いが。

お父さんに連れて行ってもらった先は・・・。

なんと!!!

海が一望出来る絶景!!!(>▽<)

そこでは釣りをしている人。

ラジコン飛行機をしてる人。

散歩をしてる人。

等、色々な人が居てました(^-^)

お父さんの話しだと、パラグライダーやロッククライミングをしてる人もたまに居るらしいです。

感動(T_T)


そして、

古い神社を発見!!!(>_<)


感動(T_T)

感動(T_T)


あまりの古さと造りにテンション上がりまくり!!!(≧▽≦)

とりあえず、記念にパシャリッ!!!

お父さんありがとうございました♪(>▽<)

いぃ景色と歴史ある神社を後に生徒さんの家に帰宅。

制作の続き。

今回もいぃ兜が制作してもらえそうで楽しみです♪♪♪

完成したら、また載せますね♪o(≧▽≦)o

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2011年6月 4日 (土)

最新作兜♪

久しぶりに新作兜制作(>_<)


そして完成!(^O^)/
新作兜♪

新作兜♪


でもまぁ〜。

まだまだ溜まりに溜まってる仕事をかたずけなアカンから完成って言うても溜まってる仕事のほんの一部やけど・・・(-.-;)

これと同時進行中なんがプレゼント用の甲冑(>_<)
かの、有名なアーティスト!

T.M.Revolutionの西川貴教さん!

にプレゼントをする事になり、

ツィッターでご本人と打ち合わせをしながら制作中♪o(^-^)o

そちらの方もまたアップして行くのでお楽しみに〜!!!(^∀^)/

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2011年6月 2日 (木)

最近・・・

ウチ(朱工房)の
手書きのチラシを制作して、
甥っ子ちゃんと甥っ子ちゃんの友達で近所を宣伝がてらに
甲冑を着てチラシ配りo(^-^)o

最近・・・

最近・・・

これで、もっと
より多くの人達に鎧兜・甲冑を、

そして、

私の(朱工房)を知ってもらい。

鎧兜と甲冑を身近に感じてもらいながら制作をしてもらい、

出来るだけ多くの人に「正しい形」で鎧兜・甲冑の歴史を後世まで伝えて行けたらと考えています。(>_<)

私の活動はまだまだ出来てませんが・・・(-.-;)

これからも、

めげずに頑張って行きたいので応援よろしくお願いいたしますm(__)m

私の思いに賛同して下さる方が居れば、

どんどんご連絡下さい!

よろしくお願い申しあげます!(o^-')b

                                             創作美術鎧
                                                 朱工房

                                               鎧兜・甲冑作家
                                                    hiro

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2011年6月 1日 (水)

名古屋の・・・

皆さんもご存知やと思いますが。

名古屋城に

名古屋の・・・

「名古屋おもてなし武将隊」

名古屋の・・・


と言う甲冑を来たグループの方達がいるのですが。

何やら「名古屋を盛り上げたい!もっと名古屋の事を知ってもらいたい!」

と言う事から期間限定で結成されたらしい。(^-^)
甲冑を着てダンスをするのが見せ所。

トークもなかなか楽しく、息の合ったトークは会場を楽しませてくれます。

今では期間限定を延長して活動をしてるけど、延長した期間が過ぎたら自分達で集まって活動して行くらしい。

私も「名古屋おもてなし武将隊」の様な活動でもしようかな?(>▽<)(笑)

まぁ私には無理ですけど〜(-.-;)(笑)

知ってる人も知らない人も私はもちろんの事。

「名古屋おもてなし武将隊」さんも応援してあげて下さいね♪p(^▽^)q

彼等の活動に期待しますo(^-^)o

皆さん!

頑張って下さいね♪p(^▽^)q

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