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2011年10月 7日 (金)

鎧兜・甲冑の歴史

遥か昔

鎧兜・甲冑の呼び名は「カワラ」「ヨロヒ」「モノノグ」「キセナガ」「具足」と呼び名を変えていきました。

最初の呼び名「カワラ」については、江戸時代の学者・新井白石さんが「皮」=外面を覆う固い部分、つまり人間の皮膚や動物の毛皮、あるいは植物、果物等の皮の事を「カワ」とし、

これに「ラ」を添え言葉とし「カワラ」と呼ぶようになったと伝えられています。

やがて、「カワラ」から「ヨロヒ」と変化します。

「ヨロヒ」は備わる、着ると言う意味の「具う」(よろう)から出た言葉と言われます。

これを、中国風に言うと「具足」と読む様になります。

兜(かぶと)
は、頭に被る物と言う意味で「冑」と書く事もありました。

「ヨロヒ」から「具足」と呼ばれる様になるのは南北朝時代以後になります。

弥生時代は、

「短甲」(たんこう)
と、呼ばれる甲冑が誕生します。

そして、「挂甲」(けいこう)
と言う甲冑が奈良時代に誕生します。

奈良時代になると「挂甲」以外に「綿甲」(めんこう)「革甲」(かわこう)と言う甲冑が誕生します。

平安・鎌倉時代になると、
弓矢(ゆみや)・太刀・(たち)長巻(ながまき)等の武器が主力となり、戦闘形態も徒歩戦(かちせん)から騎射(騎馬)戦へと変わります。

この騎射戦に有利な武具として「大鎧」(おおよろい)が誕生します。

別名を「式正の鎧」・「御守り鎧」とも言います。

この他に、

「胴丸」(どうまる)・「腹当」(はらあて)
と言う武具があります。

そして、南北朝・室町時代になると、南北両朝それぞれに属した諸国の武士の対立が激化し、争乱の絶えない時代になります。

合戦も山城の攻防戦等、地域的な戦闘に発展していきます。

こうした背景から、戦闘形態も一騎駆けから集団戦へと変化します。

武器も弓矢より、刀剣・槍等による接戦の時代になり、鎧も従来の大鎧よりも動きやすい物が要求される様になり、

平安・鎌倉時代に使われていた胴丸・腹当の長所を取り入れた「腹巻」(はらまき)と言う最新形式の物が製作される様になります。

そして、

戦国時代。

戦国時代当初は槍・弓矢が主力でしたが、鉄砲が伝来して鎧も一大改造が行われます。

そして、

誕生したのが、今の博物館等でよく観られる甲冑。

「当世具足」(とうせいぐそく)

になります。

当世具足は胴丸が次第に変化していった物で、最初は槍への防御に重点を置いて製作されていたのですが、鉄砲の出現により兵士は更なる防具が必要になり、

顔を守る防具「頬当・面頬」(ほほあて・めんぽう)

喉元を守る「咽喉輪」(のどわ)

腕・手を守る「籠手」(こて)

脇の隙間を守る「脇曳」(わきびき)

太ももを守る「佩楯」(はいだて)

等の「小具足」(こぐそく)と呼ばれる防具が誕生します。

これら小具足を具しているので「具足」
と呼ぶ様になります。

やがて寛永〜寛文頃になると、より強固な「様具足」(ためしぐそく)が製作され、文化・文政頃には復古調の鎧が作られます。

幕末には、軽量である事や生産性の上から革の甲冑が流行しますが、攻撃武器、特に鉄砲が急激に発展した為、遂に甲冑は鉄砲に屈し廃れる事になります。

(T ^ T)

以上が鎧・甲冑の歴史になります。

今の世の中から鎧・甲冑は存在と歴史が消え去ろうとしています。

どうか、

皆さんがもっと鎧・甲冑に興味を示し、保存して行く事を考え、後世に残して行ける様にちゃんとした形で伝えて行ける様に、協力して下さい(⌒▽⌒)

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コメント

出版物からの転載と思われる、大鎧の写真が出ておりますが、出版物は著作権があり転載などは許可されていないと思います。当社でも赤糸威大鎧はネットへの掲載は認めておりません。よくお調べの上、速やかな写真の削除をお願いいたします。

投稿: 武蔵御嶽神社 | 2015年3月22日 (日) 14時56分

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